私の考える「幸せ」「ささやかな幸せ」
「ささやかな幸せ」
私の考える「小さな幸せ」は、ふっと笑顔になってしまうような「プラスアルファの気づき」と考えています。
それに行き着いた経緯は以下の文章を読んでいただけると嬉しいです!
ざっくり目次です
「幸せ」とは
「ささやかな幸せ」とは
「余裕」が大切
結局、「幸せ」とはなにか?「自分の幸せ」を掴むためには
「幸せ」とは
これをたくさん感じられる人が幸せな人なのだと私は思います。どれだけ恵まれた環境にいても、お金をたくさん持っていても、友達が大勢いても、その状況を当たり前と思っていると幸せではないでしょう。
自分の置かれた状況を当たり前と思うのではなくて、一歩引いた目線で、これは当たり前ではない素晴らしいことなんだと思えるかどうかが幸せを感じられるかどうかと考えています。
上述の文だと、「ささやかな幸せ」ではなくて、「幸せ」少しタイトルとははなれた気がしますので、「ささやかな幸せ」についても考えてみたいと思います。
「ささやかな幸せ」とは
「幸せ」を当たり前の状況がそうでないと気づくことから始まるとするなら、「ささやかな幸せ」はプラスアルファの幸せと考えます。
例えばですが、日常生活の中でふと見た虹が綺麗だったとか、誕生日に友達からお祝いの連絡をもらった、雑草の中に咲いている1輪の花が綺麗だった。みたいな感じですかね?
→私がささやかな幸せ感じる瞬間です。
普段と変わらないのに、その中からふとした瞬間に気づけた時に嬉しくなります。
ふっと笑顔になってしまうような「プラスアルファの気づき」こそ「小さな幸せ」と考えています。
「余裕」が大切
こういう「ささやかな幸せ」は、大前提として「幸せ」感じられる程度の「余裕」がないと気づきにくいと思います。私自身、自分に余裕がない時に花を見て綺麗とか思いませんし、思えません。
となると、余裕が大事なのでしょうか?
確かに余裕がないと、自分の状況を振り返ってこんなにも恵まれている、とか考えないですね。でもそんな状況下だとしてもふとした気づきを感じ取ってそれを素直に喜べたらそれはそれで幸せな気もします。
結局、「幸せ」とはなにか?「自分の幸せ」を掴むためには
幸せって何なのでしょうね
考えてみてよりわからなくなりました。ですが、昨今は従来とは幸せの形が異なっている、自分で幸せを定義する必要があると声高に叫ばれているようにも感じます。
どうやって幸せについて考えるの?
それは誰も教えてくれません。
自分で考えるしかなさそうです。
ですが、素直に感動できる「小さな幸せ」や今の自分の状況を客観的に見て感謝できる「幸せ」を感じることができれば、
そしてそのどの部分に幸せを感じているのか、
そこを深掘りできれば、自分はどうすれば幸せになれるのかを掴むことができるかもしれません。
以上です
本題とずれた気がして仕方がないのですが、
最後までお読みいただきありがとうございました。